東急新横浜線開通で新綱島駅が新たにオープン。それにともない綱島の再開発が本格的に始動。温泉街として知られていた古い時代から、70~80年代にはベットタウン化、そしてスマートシティへと変貌していく様を、わんちゃんと一緒に見とどけよう!果たして理想の”住み家”はみつかるのか…
綱島駅・新綱島駅
東急東横線(急行・各駅停車)
◆渋谷駅⇒最速約21分
◆横浜駅⇒最速9分
◆新横浜駅⇒最速約12分(東急新横浜線利用で4分)
東急新横浜線(急行・各駅停車)
◆渋谷駅⇒約24分
◆横浜駅⇒約24分
◆新横浜駅⇒約4分
wanman map 綱島・新綱島
鶴見川河川敷管理道路
綱島駅側(綱島西地域)
綱島駅から4分程歩くと鶴見川だ。
手前の橋は東急東横線、その向こうに大綱橋がある。
下流側(鶴見方面)へ行く場合は橋の下を通過する。
鶴見方面から大綱橋を撮った画像。右手側には東急新横浜線の新駅、新綱島駅がある。
同時にこのエリアが再開発の目玉となる場所だ。2022年から綱島東口の駅前再開発事業が正式にスタートした。2028年完成予定。横浜市公式HP
この画像の左側堤防の先が新綱島駅の再開発エリア。
大倉駅側(樽町地域)
柵の中は『鶴見川樽町公園』。広場になっていて、少年野球の練習場で使われたり、そのほか町民の憩いの場となっている。
右側リバーサイドのマンションが『アールプラン綱島』。目の前がわんちゃん散歩コース、綱島駅からは徒歩7分の立地となる。
2011年築(モリモト)総戸数73戸の7階建マンション、専有面積が約66㎡~約80㎡、間取り2LDK、2SLDK、3LDK、駅迄徒歩7分、ペット可 ※その他詳細データはリンク先を参照ください(マンションマーケット)
歩道の右側エリアが大正時代に開業した『綱島温泉』があった場所。(樽町)
今はマンションや住宅が立ち並ぶ住宅街となる。県道60号沿いには、ファミレス、ラウンドワン、イオン駒岡店、道を挟んでビックヨーサン、いずれも徒歩圏内にある。
この辺りも駅まで10分圏内とアクセスも悪くない。
大綱橋と現在建設中の『ドレッセタワー新綱島』(既に完売)。公式HP
低層階は商業施設(新綱島スクエア)、区民文化センター(ミズキーホール)は2023年の年末頃開業予定。
左手には『コヤマドライビングスクール横浜』という自動車学校。
この辺りも綱島温泉時代に温泉宿があった”大曽根エリア”だ。
この歩道を真っ直ぐ進むと、新横浜へ。自転車で約20分。
ここで一旦折り返します。
それにしても新綱島のタワマン目立ちます!駅近辺に住んでさえいれば、老いてボケても家が分からなくなることはなさそうです!
わんちゃんの散歩コースとしては、鶴見川河川敷道路がメインになってくると思います。
下流方面から朝日が登り、上流方面からは夕日が見えるシチュエーションです。
朝、夕のわんちゃん散歩の際には、”劇的な光景”に出会えるかも…
綱島公園
綱島駅から徒歩7分ほどで行ける場所ですが、公園の入り口まで、そこそこの勾配を上がって行かなければなりません。
公園敷地に入ってからも更に上り坂はつづく。ワンコの散歩で、毎日来るコースとしては、ちょっときついかな~というヘタレな感想。
途中、開けた場所に広場と、綱島公園こどもログハウスという施設がある。子供の遊具などが揃っており、無料で遊べる施設のようだ。
見晴台になっており”日吉方面”や”武蔵小杉”を望める。
綱島市民の森
綱島公園の横にはもう一つ緑地がある。それが『綱島市民の森』。この公園は”しっかりと管理”されているのだろうか…という印象。草木が生い茂っていた。
先日の中川編の『鳥山公園』でやぶ蚊の餌食になった経験から、半袖短パンの私には中に入っていく勇気が無かった…(またしてもヘタレっぷりを披露してしまった。イタタ…)
他の入り口を探してみたが、入れそうなところが見当たらなかったことと、ワンコの散歩では入らないとの判断で手前で引き返すことにした。
尚この公園には、『桃の里広場』があり、毎年3月初旬に『綱島桃まつり』という、イベントを行っているようだ。かつて”桃の生産地”だった片鱗を残している場所でもある。
綱島商店街
綱島には7つの商店会に、新旧多彩な店舗が約400あり、東急東横線沿線でも有数の規模を誇る大きな商店街。
綱島西口商店会
綱島の商店街には味がある。随所々に雑多な昭和感を残しつつ、新しいお店や、スタイリッシュなお店が混在。こちらの商店街は飲食店や惣菜店がかなり充実している。
ここは”ウエストアベニュー”という通りで狭い道路脇に店舗がひしめき合っている印象。
本来なら夜の商店街の方が雰囲気は伝わるのだが…
綱島モール商店会(パデュ通り)
「パデュ」って何?って思いますよね?
どうやら、フランス・リヨンの「ラ・パデュ・ショッピングセンター」をイメージして命名されているようです。
商店街においては良くあるケース。
日本のどこかに『シャンゼリゼ通り』と名付けている商店街があるのではないかと踏んで、検索してみたが流石に”恐れ多い”のかヒットはしなかった。
ただ、『日本のシャンゼリゼと言われている〜商店街』という、”誰が言ったのかは決して分からない触れ込みの商店街”はいくつもあった。(タモリ、名古屋・久屋大通の”日本のシャンゼリゼ”に異論 「全く違う」という記事を見かけた…笑)
『自発的には言ってません!』『あくまで第三者から言われています』的な感じ…
こんな姑息なことをやるくらいなら、自発的に『パデュ通り!』って言い切った方が100倍好感持てます!
でもってこのオブジェです。(玉の童 作・田中 毅)なんとも可愛らしい…
綱島の商店街には至るところに芸術作品のオブジェを見かけることができます。
特に日本を代表する彫刻家、一色邦彦氏らの芸術作品が数多く展示されています。
展示作品は商店街公式HPに載っています。
話がだいぶ横道にそれてしまいましたので戻します。
このエリアは『綱島温泉時代』には多くの温泉宿が建ち並ぶ場所だったようですが、70~80年代にはマンション建設用地に代わっていった場所。
その時代に建てられたマンションが多く、旧耐震のマンションも存在する。(1981年、5月31日以前の建物)
この時計台の裏の建物が『ニックハイム綱島第二』というマンションで、この綱島2丁目には80年代に建てられたニックハイム綱島のシリーズがおそらく10棟程建っている。
1980年築(ナイス)総戸数52戸の7階建マンション、専有面積が約62㎡~約66㎡、間取りが2LDK、2SLDK、3DK、3LDK、駅から徒歩5分、ペット可、※その他詳細データはリンク先を参照ください(マンションマーケット)
しかしながら、特にこの商店街に関しては、なんとも言えない、”心が和む雰囲気”がある。それはいったい何なのか?考えてみました。
- 昭和レトロな感じが昭和生まれの自分に馴染む。
- 歩道がゆったりと広く圧迫感がない。ごちゃごちゃしていない。
- 建物の一階部分がテナントになっており、軒がせり出したひさしが、涼しさを演出している。
- どこか南国アジアのダウンタウンの香りがする。(アジアの街を旅するのが好きです。フランスをイメージしているのにすみません…)
- 西口商店街より人通りが少なく、この近辺の居住者のみが利用しているイメージ。
- わんちゃんとの”ゆったりとした散歩”をイメージできる。
とても雰囲気の良い通り。
右側のお店が上島珈琲店。角を曲がった先に『CAFE CALDI』という昔ながらの喫茶店がある。
SINCE1982となっているので、その時代から喫茶店として存続していることが凄い!ちなみにここは”わんちゃん同伴OK”のようだ。
この看板は駅から徒歩3分の『MAC綱島コート』というマンションの前に設置されていた。
1987年築(マックホームズ)総戸数80戸の8階建マンション、専有面積が約24㎡~約54㎡、間取りが1DK、1LDK、1SLDK、2K、2DK、2LDK、3DK、3LDK、駅から徒歩3分、ペット可 ※その他詳細データはリンク先を参照ください(マンションマーケット)
綱島温泉の歴史
かつての駅名も綱島温泉駅だったことから、居住地を検討するうえで必要な知識だと思いますので、綱島の歴史を年表と共に簡単に振り返っていきたいと思います。(ウィキペディアより抜粋)
- 1914年(大正3年)井戸水を掘削中、温泉発見。(ラジウム温泉)
- 1917年(大正6年) – 最初の温泉旅館の「永命館」が樽町地域に開業。
- 1926年(大正15年)東京横浜電鉄、神奈川線が開通し、綱島温泉駅が開業する。温泉旅館は入船亭、永命館、琵琶圃、楽園、大綱館の5軒。
- 1930年(昭和5年)前後 – 綱島西地域にも温泉旅館街が作られる。(現在イトーヨーカドーがあるエリア)俗にいう連れ込み宿が大半だったらしい…
- 1941年(昭和16年) – 太平洋戦争勃発、旅館業の廃業命令がでる。
- 1944年(昭和19年) 綱島温泉駅が綱島駅に改称。
- 1945年(昭和20年)3月10日 – 東京大空襲の際に、樽町がB29による空襲を受ける。樽町地域の温泉街が壊滅的となる。ちなみに前年も空襲を受けている。
- 1945年(昭和20年)以降 – 戦中は一時下火となったが、戦後、温泉街・芸者街(花街)として復活。
- 1960年(昭和35年) – 綱島温泉の最盛期で、約80軒の温泉旅館があった。
- 1970年(昭和45年)以降 – 都心へのアクセスの良さなどに着目したマンションデベロッパーなどが、駅西口を中心に温泉旅館の用地買収を強化。
- 2008年(平成20年)宿泊施設としては最後の、横浜市教職員互助会「浜京」が閉店。これをもって、「綱島温泉」の旅館業が全て廃業となる。
現在の新綱島駅付近が『綱島東地域』、イトーヨーカドー付近が『西地域』、大綱橋を渡ったところが、元々の温泉街、『樽町地域』と1960年頃までは今とは全く違う顔をもった街だったようだ。
綱島はかつて日本一の桃生産地
- 鶴見川の本流と鶴見川に注ぎこむ早淵川と矢上川に囲まれる綱島は、水害に悩む貧しい農村だった。
- 明治30年頃、当時の北綱島村名主、池谷道太郎はこの地域の窮状を救うために桃の栽培を始める。
- 明治40年、ついに新品種を発見。新しい桃は「日月桃」と名付けられる。
- 桃栽培は綱島村全域にまたたく間に広がり、綱島は関東一の桃生産地となった。
- 昭和6年頃には、桃生産高が岡山を抜いてとうとう『日本一』となる。
- 昭和13年、16年と二度にわたる未曾有の豪雨により大洪水。桃農家の大打撃。
- 昭和16年、太平洋戦争勃発。食料増産の名のもと「嗜好品の桃より米や麦を作れ」という軍の命令もあり、桃の栽培は次第に減少していく。
- 昭和20年終戦の後、桃の生産一時復活。
- その後、非農業人口の増加とともに宅地需要が増大。また、綱島温泉の隆盛のなかで、温泉旅館が次々開業。
- 農業をやめ土地を売る農家が後を絶たず、桃農家が減少していく。
- 昭和40年代になり、とうとう桃栽培の創始家である池谷家の畑を除いて桃農家はすべてなくなった。
といった何ともせつない話ではあるが、唯一今でも池谷桃園は現存している。池谷桃園twitter
米AppleYTC
今の綱島を語る上で、特筆すべきはやはり米Appleが綱島に進出してきたことだろう。
この施設は横浜テクノロジーセンター(YTC)といって、技術研究の拠点として考えているようだ。
その理由として、iPhoneやiPadの部品には、日本メーカーの部品が数多く利用されていることから、取引の都合上、効率がよいとの判断なのかもしれない。
くわえて、この施設は『アップルウォッチ』の研究開発の拠点、という話もある。
勿論この私もアップルウォッチのユーザーであるわけですが、綱島で開発されたものが、どのように進化していくのかとても楽しみですし、アップル製品にはますます親近感が増していきます。
そしてなんといっても『TsunashimaSSTプロジェクト』の牽引役としての期待も大きい。
最先端のテクノロジーを駆使した”スマートシティ構想”がこの綱島では始まっているのです。
綱島には未来しかありません!
振り返るとこの私も『Appleと共に時代を生きて来た感』がものすごくあります。
製品利用もそうなのですが、”クリエイティビティー精神”という部分で大きな影響を受けました。
Macから生み出される”U.Sストリートカルチャーの世界観”。
これにはハートを完全にわしづかみにされました。それから何十年経ったことでしょう…
Appleの影響力ははかりしれないです。日本でも若い世代や、製品としての関係性だけではなく、”企業として日本の中に入り込み、他とコミットする”。
このことは日本の企業に対し、また”別の角度のインパクトを与えるだろう”と期待するわけです。
まとめ
ワンちゃんとの生活はどのようなイメージになるか?
- 散歩コースは鶴見川の河川敷道路が最適。
- 駅から7分の綱島公園は勾配がきつく、毎日の散歩としてはきつい。
- 実際に街を歩いて、綱島西2丁目界隈なら住みたいかな…と思った。(イトーヨーカドー近辺)
- このエリアなら、鶴見川河川敷へのアクセスは容易。ワンブロックごとに通路が設置されている。
- 綱島モール商店(ペディ通り)の雰囲気が気に入った。
- 80年代に建築された古いマンションが多い。
- 大綱橋を渡った対岸の樽町も駅まで10分圏内と悪くない。
- 大型スーパーが2つもあり、生活しやすそうだ。
- 綱島駅側よりかは、洪水ハザードマップ的には一段階下がる。
綱島の歴史
- 綱島は戦前から70年代初頭まで温泉街として有名だった。
- 大綱橋を渡った樽町をメインに駅周辺の綱島西地区、新綱島駅付近の東地区と全体が”関東の奥座敷”と言われる温泉街だった。
- 昭和6年頃、綱島は”日本一の桃の生産地”だった。
- 70年代にはマンションの用地買収の波が押し寄せ、綱島は東京のベットタウンへと代わって行った。
綱島の未来
- TunashimaSSTプロジェクトが発動しており、どこよりも未来の街を見据え、既に動き出している。
- 世界に向け、新しいテクノロジーや街の在り方を発信するステーションとなりつつある。
- 米Apple日本進出による影響が、どのような形で現れるのか予想できない期待感がある。
- ハザードマップ的には決して盤石とはいえない土地だが、そのこともスマートシティはクリアできるのかが注目。
- 新綱島駅、綱島スクエア、区民文化センターは2023年の年末頃オープン。
- 新綱島駅、東口再開発の完成目途は2028年。
綱島には未来へ向かう”大きなエネルギー”を内包している。そして”クリエイティブな精神”に満ちた立場は、廃れることとは対極的なポジションにあると信じている。つまり私の感想は、『綱島激熱でしょ!』ということになります。
今回もまた”こころ”を揺さぶられてしまった…